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碁盤割地区

碁盤割地区

いまも都心部に引き継がれる碁盤割の町

徳川家康の命により清須城の周囲の町ごと名古屋城下に移動させた、通称「清須越」によって作られた名古屋の城下町は、「町割り」と呼ばれる都市整備手法がとられた。
「町割り」では、武家の町、寺社の町、町人の町が城の周りにそれぞれ配置され、名古屋城の正面に置かれた町人の町は、碁盤の目のように縦横に直角に交わる街路で整然と区画され「碁盤割の町」として栄えた。
昭和に入り、太平洋戦争の空襲により壊滅的な被害を受けたが、区画の形は概ね現在に引き継がれており、当時の面影が感じられる。

碁盤割地区

通りの名として残される町名

名古屋城の正面に99のブロックをつくり、直角に交差する道で真四角な区画で形成された町。本町、京町、伊勢町、長島町、長者町、伝馬町、呉服町などの町名は、通りの名として今も残されている。伝馬町通本町交差点は、法度・掟書などを記した高札を掲げる高札場が設けられたことから、札の辻と呼んだと言われている。

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住所 名古屋市中区丸の内1〜3、錦1〜3
アクセス 地下鉄各線栄駅など

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