徳川家康の プロフィール

- 本名
- 源朝臣徳川蔵人次郎三郎家康(幼名は竹千代)
- 生年月日
- 1542年(天文11年) 12月26日
- 出身
- 三河国(現在の愛知県東部)、岡崎城に生誕
- 好きなものやこと
- てんぷら・将棋・囲碁・時計
- 人質先
- 織田家・今川家
- 肩書き(官位)
- 征夷大将軍・太政大臣(最終官位)
家康ゆかりの地
熱田羽城跡

幼少期竹千代時代に
幽閉されていた城跡!
家康が幼少時代に幽閉されていた場所であり、加藤図書助順盛の居城だった熱田羽城。現在、周辺の宅地化により遺構は残っていませんが、「徳川家康幼時幽居地」の案内板が羽城公園にあります。
万松寺

家康は、売られて万松寺に
やってきた!?
1540年、織田家の菩提寺として織田信秀(織田信長の父)により建立された万松寺。6歳で人質として今川義元の元に送られる途中、銭500(現在で1000万円ほど)で信秀に売られ、熱田の加藤図書助順盛宅に幽閉されたのち、万松寺で9歳まで過ごす事に。そんな家康は、1610年、名古屋城築城にあたり、現在の地に移転を命じることになります。
笠寺観音

人質として、各地を
転々とする幼少期!
名古屋城を守る、尾張四観音のひとつとして知られる笠寺観音。1549年、ここで家康と今川家の人質であった織田信広(織田信長の庶兄)との人質交換交渉が成功し、今川義元の元に送られることになります。現在、笠松観音には、徳川家康人質交換記念碑が建てられています。
大高城跡

大高城は、家康にとっての
開運城!?
桶狭間の戦いの前、今川勢の人質だった家康が、今川の拠点である大高城に兵糧入れをした城として知られています。そのため、ここ大高は、家康の運命、そして時代を変えた地ともいわれています。現在は国の史跡に指定され、大高城跡公園として整備されましたが、堀や土橋などの痕跡を見ることができます。
小幡城跡

小牧・長久手合戦前に修繕し、
合戦時には一時入城していた!
一時廃城となっていた小幡城ですが、家康が城を修復、整備をし、小牧・長久手合戦では三河との連絡路として活用されました。現在城跡は宅地化され遺構はありませんが、案内板が建てられています。
名古屋城

江戸260年栄え続けた、
徳川家の居城とは!?
関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、1610年名古屋城の築城を開始。金鯱が光り輝く天守閣、豪華な本丸御殿に、広大な庭園、高い石垣と深い堀を備え、家康の威信をかけて築かれました。築城にあわせて「清須越」が行われ、現在の名古屋の街の原型となる碁盤割の城下町が形成されました。
徳川園・徳川美術館 名古屋市蓬左文庫

徳川家の遺品から、
家康の生涯をたどる!
徳川園は、家康亡き後、徳川光友が大曽根屋敷に移り住んだことが起源とされており、広大な敷地内には、数々の登録有形文化財とともに、季節ごとによって変わるたくさんの木々や花々が植えられています。隣接する徳川美術館と蓬左文庫にも、徳川家の遺愛品や旧蔵書が多数収蔵されており、徳川園一帯では大名文化を総合的に体感できます。